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移住者体験談

松村 勇気さん 「大学卒業後も山形で」

全く知らない土地、山形へ

松村さんは、ご両親の転勤により幼少のときから秋田、岩手、青森と東北を転々とし、6歳から高校を卒業する18歳までは宮城県に住んでいました。
教職課程を取得するために、山形大学への入学を決意しましたが、山形を訪れたのは、大学試験の時が初めてだったとのこと。もともと県外に進学したいという思いはあったものの、都会へのあこがれはなかったため、出身地からも近いという理由で山形を選んだということですが、山形に関しての知識はほとんど無い状態であり、大学卒業後は地元に戻る予定だったといいます。

山形居住のターニングポイント

そんな松村さんを山形にとどめたのは、大学4年生のときに初めて参加したフリースクールでの学外活動でした。それまで「学校には当然行くものだ」と疑わなかった松村さんは、不登校で悩む子供たちや、サポートのために尽力するスタッフと直接関わることで大きな衝撃を受けたといいます。
教員試験にも受かり、予定通り地元の宮城県に戻ることも考えたそうですが、フリースクールのボランティアスタッフで得た経験と人との繋がりのある山形で、自ら活動していくことを決意しました。


家庭教師形式の個人塾を開講

山形での暮らし

松村さんは現在、大学時代から14年間住んでいるアパートを拠点として、1対1の家庭教師形式の個人塾を開講しています。また、学生同士の集いや小冊子制作を目的とした市民団体「たいようの会」を設立し、現役小中高生や若者の生の声を発信しています。やまがた暮らしも長くなり、雪が積もれば、雪かきをしながら近所の方と声を掛け合うコミュニケーションも嬉しいとのことで、最初は戸惑いもあった方言にも、「その土地特有のアイデンティティ」だと羨ましさを感じるそうです。


マラソン大会に参加して

暮らしやすさが魅力

山形出身者や、県外在住者の口から「山形は何もないところだ」と聞くと、釈然としない想いを抱くという松村さん。「何もない」というけれど、「何でもある」と称される都会のビルが立ち並ぶ同じ景色よりも、田畑や温泉やスキー場のある変化に富んだ景色の山形が好きなのだそうです。
山形を「不便だ」と感じるか、「便利過ぎない」と感じるか。都会のせかせかした息苦しさ、便利さゆえの早さに乗り遅れてしまう人には、ぜひ山形の暮らしやすさに気付いてほしいとの声をいただきました。

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