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移住者体験談

土田 健さん/京都から西川町へ移住

京都から大井沢へ

陶芸家の土田さんは、5年前に京都から西川町大井沢に移住しました。大井沢は、冬には何メートルもの雪が積もる、山形でも有数の豪雪地帯です。元々、お母さんの出身地ということもあって山形には地縁がありましたが、移住を決意したのには、ふたつの理由がありました。
ひとつめの理由は、「大井沢は、陶芸活動をするための場所として適していた」から。土田さんは、伝統的な登り窯で陶器を焼成したいと考えていましたが、都会でその願いを実現するのはなかなか難しく、燃料となる薪や水が豊富な田舎での活動を希望していました。また、移住前の真冬に大井沢を訪れた際、雪の壁を目のあたりにし、大きな衝撃を受けたそうですが、「実際に住み続けている人がいるのだから、自分もそこで生きていくことが可能だろうし、そうした生活を通じて心身ともに鍛えられることによって、ものづくりにおいてもいい仕事ができるのではないか」とも考えたそうです。
そしてふたつめの理由は、「大井沢の環境は、子育てに適していると感じた」から。土田さんは、現在、二児の父です。移住する前には、周囲から「同年代の子が少ない土地にわざわざ行くなんて」「コミュニケーション力が乏しくなるのでは」などといった心配の声もあがりました。しかし、土田さんは、「自然の中で生きることで、『どこまでが安全でどこからが危険か』といった感性を磨くことができる。その感性は、コミュニケーションにも通じるのではないか」と考えたそうです。

「よそもの」と呼ばれて

田舎での陶芸活動を希望して移住した土田さんでしたが、すぐに陶芸活動を開始できたわけではありません。はじめは、身の周りの環境を整えること、そして何より、大井沢に受けいれてもらうということに時間をかけました。
移住当初は、仕事に関しても出身に関しても、奇異な目で見られることが多かったそうです。しかし、土田さんは、「それは、見方を変えれば、『自分に興味を抱いてもらえている』ということ」と前向きにとらえ、集落の行事を通して地元の人たちと積極的に関わっていきました。ときには、地域の感覚や文化にギャップを感じることもありましたが、「住む場所が変わればそれも当然」と受けとめ、徐々に、互いに互いを知るようになり、地域にも慣れていきました。

陶芸活動のスタート

大井沢で初の窯焚きを行ったのは、移住から約1年が経ったころ。焼きあがった作品の一部は、大井沢での生活を支えてくれた地元の方々にプレゼントしました。「陶芸は一連の流れの中でつくっていくもの。大井沢で暮らし、年中行事に関わりながら窯焚きを行うことは簡単なことではありませんでしたが、『時間がかかってもいいものをつくろう』という意識で、焦ることなく徐々にペースをつかんでいきました。その甲斐あってか、少しずつ注文も増え、窯元を訪れるお客さんも増えてきました」と土田さんはいいます。
去年4月には、「水の町屋七日町御殿堰(山形市)」のオープンに合わせ、「結城屋」店舗内にギャラリーを開設しました。土田さんは、「作品の展示販売に加えて、大井沢の情報発信地としても充実させていきたい」と考えています。また、今年7月には「楽美洞茶陶館(山形市)」にて初の個展を開催。たくさんの来場者に恵まれ、「お茶の世界で自分の作品が活かされれば」という土田さんの願いが叶ったそうです。


土こね作業

陶芸家として大井沢で生きる

「地位や名声には全く興味がない、というと嘘になるけれど、自分の最終目標はそこにはない。陶磁器だって、今じゃ工場で大量生産できるもの。だからこそ、たとえ細々とであっても、思いのこめられた器(うつわ)を、地道につくり続けていきたい。『これはいい』とひとりでも多くの人に感じてもらえる仕事をしていきたいと思っています」と語る土田さん。この大井沢で多くの人とつながり、支えあう関係の中で、心をこめて作品をつくっています。

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