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住み慣れた土地を離れ新たな土地に移り住む移住という選択は、壁が高く思える。同じように職業にも、飛び込むのに壁を感じるものは多い。女人禁制という言葉もその壁のひとつだろう。山形県米沢市の新藤酒造店にはそんな「移住」「女人禁制という2枚の壁を乗り越え、造り手として働く女性が2人いる。同じく東京から山形へ移住してきた近野祐加さん、小川美瑛さん。彼女たちはどんな思いで日々、酒蔵に立っているのだろうか。2人の女性作り手の歩み、想いを紹介する。
近野 祐加(こんの ゆか)さん (高畠町)
【プロフィール】
東京都出身。東京農業大学を卒業後、2013年に山形県に移住、新藤酒造店に就職。2022年に結婚。イチオシ日本酒は裏・雅山流 香華移住してくる前から好きな銘柄で、本醸造ながら大吟醸にも匹敵する華やかさがお気に入り。
■ お酒好きの遺伝子
酒造会社に勤め、お酒が好きな両親をもつ近野さんは、幼少期から酒造りに興味をもっていた。その思いを持ち続けて進んだ東京農業大学では醸造について学んだ。特に造り手への思いを強くしたのは、酒蔵に泊まり込んでの学習というカリキュラムだった。そして女性を受け入れてくれる酒蔵を探した結果、新藤酒造店にたどり着いた。
両親からの影響は移住を考える点でも大きかった。転勤の関係で全国を転々とする生活をしてきたため、山形県に行くことには自分も両親も抵抗が少なかったという。
■ おすそわけ文化が料理の先生
全国を巡ってきた近野さんから見ても、山形の雪は驚くべき量だった。特に車の運転は初心者だったため、はじめは通勤のたびにドキドキしていた。
無事に運転を終え仕事場に着くと、次なる課題は方言。他の県ではイントネーションの違いくらいだったが、山形では「うるがす」「おしょうしな」など単語そのものが異なる。当初は「もう一回言ってください」を連発していたという。
一方、移住生活での嬉しい変化は料理が上達したことだ。そのきっかけは、周囲の人たちから米や山菜など食材をもらえること。
もともと料理には自信がなかったが、せっかくもらった食材をどう食べようかと考え取り組んでいるうちに腕を上げたという。
■ 後輩との絆
現在は統括主任として全体を見るのが仕事。製造の工程は一通り従事し経験を積むことができた。次の目標は、学んできた技術や知識を伝えていくことだ。そこで近野さんが重視しているのは後輩との関係性。単なる指導ではなく、後輩が自主的に「学びたい」と思える環境をつくることが理想だという。
そんな近野さんの願い通り、後輩の小川さんは今後の目標として「違う分野の仕事も掘り下げたい」と語っている。近野さんも小川さんのことを「本当に我慢強く、自分が休みの時でも彼女がいれば安心して任せられる」と高く評価する。二人の女性造り手の間には、強い信頼関係が築かれているようだ。飲み会で交わすという日本酒談義も、その一助になっているかもしれない。
■ やってみなければわからない!!
今後移住を考えている人に伝えたいのは「自分に自信をもって」の一言。心配事はすぐに消える、解決策は自分で見つけられると力強く話す。近野さんの場合は買い物をする所がないことに最初戸惑ったが、今ではネット販売を活用し問題なく暮らしているという。
小川 美瑛(おがわ みえ)さん (米沢市)
【プロフィール】
東京都出身。東京農業大学卒業後、2016年に山形県に移住し新藤酒造店に就職。イチオシ日本酒は裏・雅山流祥華冬の銘柄で、スッキリとした香りの華やかさが、ほかの食材を引き立ててくれる魅力がある。
■ 切り札は『九郎左衛門』
小川さんにはもともと、「人とは違うことをやってみたい」という将来の夢があった。祖父が製造業を生業としていたことに影響を受けたという。そこに両親の日本酒好きが加わり、酒造の道を志すようになった。そして醸造を学んだ東京農業大学の恩師から「造り手として頑張っている女性がいる」と聞き、新藤酒造店で働くことを決めた。
しかし移住について、長女なのもあってか父親は当初渋っていた。そこで小川さんがとった秘策は新藤酒造店の逸品「九郎左衛門」を飲ませること。この一手に「うまい」と一言漏らした父親は、これが決め手となり小川さんを送り出してくれた。
■ 都会にはないもの
米沢に来た当初は、生まれ育った東京とは大違いの雪に驚く日々だった。ひざ丈の積雪にも焦り、慣れない雪かきで腰を痛めたり、氷の上では転んだりと苦労が多かった。しかし冬が終わると、雪以外にも東京では見られない景色がたくさんあった。
田んぼの水に反射して映る一面の大自然は、春の訪れを伝えてくれるお気に入りの光景だ。さらに自然相手の趣味として、今後は海釣りにも挑戦してみたいとか。
自然の他にも都会と異なるのが方言。同じ日本語なのに、外国語を学ぶ際の「スピードラーニングのようだった」と振り返る。身振り手振りなどの動作から意味を推測するなど、少しずつ独学で学んでいったそうだ。
■ 先輩への感謝
酒造業界に飛び込むきっかけとして、先輩である近野さんの存在は大きかったと話す。「女人禁制の中ですごい」という感心は同時に、「自分もやれるのか挑戦したい」という意欲に変わっていった。今では仕事をはじめ多くのことを教わり、感謝してもしきれない存在だ。
現在、酒蔵では麹造りの中心で「小川なしでは回らない」と近野さんが話すほど。
自分でも後輩に仕事を教えることが多くなり、視野が広くなったと成長を実感する。そんな毎日の仕事が楽しいと語る一方、興味はほかの分野にも。洗米など麹以外の知識を深め、掘り下げていきたいというのが目標だ。そうしたやりたいことにチャレンジする場を与えてくれるのが、新藤酒造店の良さであり、感謝している点だという。
■ 住めば都です!!
今後移住を考えている人に伝えたいのは、まず一歩を踏み出すことの大切さ。難しく考えすぎるとネガティブになってしまうが、それを振り切る「勢い」も必要だという。自分でも大事と話す、習うより慣れろの精神は、方言を身振り手振りから解読していった経験に表れている。
(R5.5月)
<イチオシの 裏・雅山流「香華」(甑(こしき)の前にて)>
仕込みの一風景
イチオシの 裏・雅山流「祥華」
麹造りの一風景