インタビュー

CASE

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しな織りに魅了されたことが山形県を選んだ最大の理由

山形市 ものづくり

伊藤敦子(いとうあつこ)さん|しな織作家

1972年生、千葉県船橋市生まれ。小さいころから絵画教室に通っていた。「母が習わせたかったようです。でも母は書道家なんです」。進学した東京造形大学で、以前から興味のあった織物のコースを専攻した。織り方やデザインなど基本を習得し、卒業後も織りの仕事をしたいとの思いが強まった。

車の運転免許を取るため山形県内の教習所で合宿した際、ある土産物店でしな織りの小銭入れと出合った。「余りにもすてき過ぎて、どこで作られたかを問い合わせ」、温海町(現鶴岡市)のしな織りセンターに直行。織り機にかかっているしな布に心を奪われた。木の色が作品にそのまま残っている独特の風合いや、糸を取る木の栽培から糸作り、織りまで一貫生産していること、それが地域の暮らしの中に根付いていることなど、すべてが感動だった。どうしても織りたいと地元の人に掛け合い、温海町役場の職員も受け入れに動いてくれたことで、関川しな織り協同組合の研修生として新たなスタートを切った。
自分のために町が制度を設けて対応してくれたことに、「感謝しかありません」と振り返る。住まいは無償で貸してくれた空き家。地元のお婆ちゃんたちの手ほどきを受けながら、温海町という土地だからこそ出来る伝統の織物の奥深さを学んだ。一方で、役場では同年代の友達ができるようにと、劇団を呼んで上演していた若者のグループを紹介してくれるなど「本当にやさしくしてくれました」

2年の研修を終えて一旦船橋に帰るも温海への思いは強く、3年後、再び現地に。今度は職員にしてもらい、技術を磨いた。基本的に協同組合では各工程が分業になっており、自分一人ですべてを手掛けたいという思いから独立。食べていくのが大変だったが、いろんな人が助けてくれたことで「楽しく過ごせました」と実感を込める。近所のおばちゃん達が私を子供のように、「お風呂に入っていけとか、ご飯食べていけとか、もう地域全体が親戚みたいな感じです。不思議でした」と、人柄の良さをかみ締める。
2006年、山形市出身で地元テレビ局に勤める夫と結婚。温海で独立して活動している時、取材を受けたのが縁となった。山形市五日町の夫の実家の隣に自宅を構え、中3の長男、中1の長女と4人暮らし。義父は画家としても活躍している。


■ 山形を選んだ理由

しな織りに魅了されたことが山形県を選んだ最大の理由だ。冬は雪が多く、雪かきや雪下ろしなど大変な面がある。苦手なカメムシも多い年がある。生活は楽ではないが、食の豊富さやおいしさ、自然の豊かさ、地域のコミュニティーなどが苦労を中和してくれる。温海で実感したことだが、「とにかく人に対して親切で、とてもやさしい。そんな県民性が素晴らしいです」


■ 山形での暮らし

山形工芸の会に入り、毎年秋の作品展に出品している。しなの木のすべてを使った大きな壁飾りを県美展に出展したり、庄内に残る農民具の「ばんどり」をイメージしたタペストリーを作ったりした。日本民芸館の公募展に昨年から応募するなど、多彩な創作活動に励む。「鶴岡の木工作家の知人とコラボ展ができれば」と思い描く。


■ 移住を考えている人へのメッセージ

「四季がはっきりしていて、自然の節目を実感できます。食べ物は本当においしいと心底思います」と強調する。野菜や果物など、スーパーに並ぶ食材そのものが都会と違うという。何より、よそ者を受け入れてくれる地域性が素晴らしいと太鼓判を押す。

(R5.6月)

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