インタビュー

CASE

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蔵王や月山など景色のきれいさに魅了

天童市 ものづくり

東海林晴美(しょうじはるみ)さん|陶芸家

1947年、東京都目黒区生まれ。中学、高校とバレーボール部で、朝練し、授業を受け、終わったらまた部活に打ち込む青春時代だった。部活の先輩が美大に進学する際、芸術系の大学を受験するための専門の予備校があることを教わり、高3の時に夜、予備校に通って勉強した。もともと絵をかくのが好きで、美術を学びたいという思いが底辺にあった。

東京芸術大学の工芸デザインは、受験倍率が30倍という超難関のコースだったが、「運よく」合格。大学3年から陶芸を専攻し、色絵の第一人者と言われ後に人間国宝となる藤本能道教授に学んだ。
卒業後、目黒の自宅に窯を作り、制作を始めた。当時は年10回位、作品展に出品していた。作品は皿や鉢、コーヒーカップなど家庭で使用する食器が中心で、今も基軸は変わらない。
バブル景気のころ、自宅周辺はビル建設のラッシュだった。特有のにおいや騒音に耐えられず、たまに出掛けていた長野に移住を考えた。ただ、電気水道などのインフラが整っていない難しさや、移住を喜ぶ方々の応援にも対応の難しさを感じてあきらめた。父の実家が天童市の現在地で、叔母が一人で暮らしており、そばにいてくれるとありがたいと背中を押されて1983年、夫と移住した。

石川県金沢市出身の夫とは、浪人時代から馴染みがあって知人が多い金沢市を訪れていた時に出会った。
移住3年後、芸大の建築科の同級生の先輩である村山市出身の建築家に設計してもらい、木をふんだんに使った家を、同じ敷地に建てた。この年に長女が誕生。その後、叔母がなくなり、空き家状態になっていた築80年以上の家を解体し、柱などを再利用して2001年にアトリエを建築。古民家を思わせるむき出しの柱が、特有の雰囲気を醸す。


■ 山形を選んだ理由

父の実家があったことが大きいが、雪が大好きだったし、空気もおいしいし、蔵王や月山など景色のきれいさに魅了された。「吹雪の中を歩くのも好きで、散歩中に車を運転していた人が止まってくれて、乗っていけと言ってくれた時は戸惑いました」と目を細める。「かわいそうにと思ってくれたようで、そんな地域性もありがたいです」


■ 山形での暮らし

創作は、集中できる午前中を中心に行う。粘土をこね、ろくろを回し、絵付けから窯焚きまで各工程に自分の感性のすべてを注ぎ込む。毎年、山形と東京で交互に個展を開く。
今年は昨年延期した東京での個展開催も重なり、特に忙しい年となる。自身のセンスを磨くため、時々上京して展覧会を鑑賞したり、コンサートを聴いたりしている。また、自宅の畑で野菜作りを楽しむ。「採れたての枝豆は本当においしい」と言い切る。
陶芸のほかに水彩画や洋服作りもやりたいという。洋服は中学時代から、自分でデザインして縫うことが好きで、高校では友達のスカートを頼まれることが多くなり、結局、約100枚ものスカートを作ったとのこと。


■ 移住を考えている人へのメッセージ

空気が澄んでいて景色がきれいで、季節の移ろいを実感できるのが山形。自然の美しさと厳しさを肌で感じられる中での子育ては、最高にいいと言い切る。「そんな自然が、子どもの感性を豊かにしてくれます」。その長女はピアニストで、教室も開く。「地域の人のやさしさ、親切心、思いやりも本当によく分かります」とも。全然知らない人の葬式の案内が来るほどで、地域コミュニティーの濃密さに驚く。
気になるのが「山形の県民性なのか、嫌なことをはっきり言わない」ことで、誤解が生じることもある。公共交通機関が整っておらず、日常生活に車が欠かせない点も指摘する。

(R5.6月)

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