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移住者体験談

喜早 洋介さん/神奈川から山形へ移住

新たな予備校の設立

山形市内の一角に、講師と生徒の笑い声の響く予備校があります。美術系大学の受験指導を行う予備校「やまがた藝術倶楽部」です。代表を務める喜早(きそう)さんは神奈川出身。地元の高校を卒業後、東北芸術工科大学、同大学の大学院に進みました。在学中に、山形には美術大学があるにもかかわらず、そこに進学するための予備校がないということに気づき、大学院修了後、「やまがた藝術倶楽部」を設立しました。
当初は、かなりの需要があるだろうと予想していた喜早さんでしたが、実際に始めてみると、地域の人は興味を示してはくれてもなかなか近づいてくれず、遠巻きに眺められる期間が長かったといいます。地域の中で新しいことを一から創り上げる難しさを痛感した喜早さんでしたが、「10年は続ける」という恩師との約束を胸に地道に活動を続け、さまざまな困難を乗り越えていきました。やがて、県内各地の高校との間につながりができ、少しずつ地域の中で知られるようになっていきました。


和紙制作風景

「創造する」魅力

「自分は山形に魅せられたというより、芸工大に魅せられたんです」と語る喜早さんですが、実は芸工大は第一希望の美術大学ではありませんでした。入学当初は、第一志望だった東京の美大に入学できていれば、という未練も引きずっていたとのこと。しかし、そんな想いに踏ん切りをつけてくれたのが、新しい大学を自分たちの手で創っていこうとする先輩たちの姿でした。当時3期生として入学した喜早さんは、何事にも意欲的な先輩たちの姿に刺激を受け、自分たちも負けていられないと学内外の活動に積極的に参加するようになり、その中で山形独自の文化や魅力に触れる機会にもめぐりあったのでした。

山形県産和紙へひとめぼれ

大学院時代に山形の和紙に興味をもち、工房を見学するなど、もともと和紙への興味も深かった喜早さんですが、あるとき東京の和紙専門店を訪れたときに、店の主人に上山の高松和紙を紹介され、その素朴な美しさと独特の温かみに改めて魅せられてしまったといいます。その後、喜早さんは県内の和紙工房を訪れ、より身近に山形和紙の魅力を体感します。しかし、和紙職人との関わりが深まるにつれ、後継者不足と和紙の需要の少なさという現状も見えてきました。
県産和紙の魅力があまり知られていないことに衝撃を受けた喜早さんは、そのすばらしさを広く伝えるべく、芸工大の学生と連携し、県産和紙を使った造形作品展の企画や、山形市在住の木版画家・三浦隆典さんの版画を刷ったうちわの販売を行いました。「地元の人は、山形にある大きな魅力に当たり前すぎて気づけないことも多いように感じる。仮に気づけたとしても、どこかで謙遜してしまっている。山形にはたくさんの財産がある。まずは地元の人が胸を張ってそれを自慢できるように、これからも多くの人に山形ならではのよさを伝える活動を続けていきたい」と抱負を語ってくれました。

母校への恩返し

「芸工大と山形の街との距離を縮めたい。地域密着型の大学とはいえ、まだまだ住民との距離は遠く、芸工大の活動に対する理解はいまだ十分には得られてはいない」と喜早さんは語ります。山形の地域や伝統民芸品に魅せられ、卒業後も山形に残ることを希望している県外出身の学生も多いとのことで、「美術をやって感性を磨いている学生は、首都圏に出てバリバリ働くことをステータスとするような価値観にとらわれず、農村での暮らしに魅力を感じる者も多い。そんな学生たちが後継者不足に悩む農村や伝統文化の後継者になる可能性だって充分にある」と喜早さんは言います。
地元の美大進学希望者が芸工大に入学するための足場づくりと卒業後の芸工大生の進路づくり。ふたつの課題に取り組む喜早さんは「自分の母校である芸工大だから、地域の人にも『この大学ができてよかった』と思ってほしい。愛着ある芸工大への恩返しのつもり」と笑顔をみせます。

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